福岡高等裁判所 昭和58年(ネ)245号 判決 1985年7月17日
控訴人
長崎県教育正常化父母の会こと
海老原美彦
右訴訟代理人
塩飽志郎
清川光秋
被控訴人
勝間暢雄
外四九名
被控訴人ら訴訟代理人
立木豊地
森川金寿
佐伯静治
戸田謙
重松蕃
芦田浩志
柳沼八郎
尾山宏
新井章
雪入益見
高橋清一
藤田康幸
北野昭式
藤本正
深田和之
谷川宮太郎
森永正
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審を通じて全部被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは主文同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示(添付の別紙二、同三、別表を含む)及び原審、当審記録中の各証拠目録に記載のとおりであるからこれを引用する(但し原判決三枚目表五行目の「なされたことが」とあるのを「なされた後であることが」と訂正し、原判決五枚目表八行目の「本件ビラ配布行為の違法性」とあるのを「本件ビラ配布行為が違法でないことについて」と改め、原判決三〇枚目(別表一枚目)表九行目の「岡田まつみ」を「岡田まつみことマツミ」と、原判決三一枚目(別表二枚目)裏八行目の「早瀬玲子」を「吉田(旧姓早瀬)玲子」と夫々改める。)。
一 控訴人
1 民事法の領域で法の保護に値する名誉とは社会が人に与える評価で、単なる自己自身に対する主観的な評価(名誉感情)ではない(最高裁昭和四五・一二・一八民集二四・一三・二一五一)。これは、民法第七二三条の趣旨を目的論的ないし機能論的に解釈するところにあり、同条にいう「名誉ヲ回復スルニ適当ナル処分」とは、即ち毀損された被害者の人格的価値に対する社会的、客観的な評価自体を回復するに適当な処分をいうのであつて、加害者に制裁を加えたり、加害者に謝罪させて被害者に主観的な満足を与えるための処分を言うのではない。かかる処分によつて救済されるに適するのは、人の社会的名誉が毀損された場合であり、かつ、その場合に限られる。本件において被控訴人らの名誉感情が害されたことを理由に控訴人の不法行為責任を安直に認めることは許されない。
2 本件ビラの内容は、通知表をめぐる公立小学校の教育問題を論ずるものであり、日教組所属の教師につきその教育活動の態様を批判しているのであるから、公共の利害に関するものであることは明らかである。本件ビラは、これに掲げられた教師の数からみても、個々の教師に対してというよりビラ配布の時点において通知表が円満に子どもらに渡されていない事態をつくり出した組合所属の教師群に対してなされた論評である。
3 本件において、控訴人は、地方教育公務員のうち、ある党派性を帯びた者達が、上司の職務命令を無視することまでを想定して統一行動を敢行し、そのため教育現場で取り返しのつかない破局的混乱が生じようとしていると認識したのである。事実本件ビラが配布された昭和五六年二月初旬頃は、教師側の妥協が期待できず、学校長側の譲歩なき限り六年生児童の小学校課程修了の認定も不可能で、円満な中学校進学も望めない状況となつていた。そうして、その後親の転勤等による児童の転出や教員の人事異動等を原因として、このまま推移すれば一部児童の当該学年修了の認定も不能となる事態が生ずることとなつて、学校長側の譲歩により、記載未了のままの通知表を児童に渡して解決がはかられたのである。
その間、県・市各教育委員会や学校長側は、徒らに職務命令を発するだけで毅然たる態度で解決しようとせず、控訴人は児童が人質にとられていることに激しい苛立ちを覚えていた。
4 しかも、控訴人は、いわゆる絶対評価方式を固執する教師ら(被控訴人らを含む)が、各自の教育上の信念に基いてというよりも、日教組の組合員として組織的統一行動をとつていたにすぎないことを認識していた。この認識は、控訴人が、昭和五五年八月頃、日教組組合員のひとりから、通知表問題についての作戦ないし闘争指導文書の一部として入手した文書の写(乙第一三ないし第一五号証)によつて裏付けられていたのである。
5 本件ビラにおいて「理不尽な反対」「愚かな抵抗」「権利ばかり主張して教育公務員としての責任と義務を忘れており」等の表現を用いたのは、本件通知表問題の事実経過を控訴人の思想・信条に基いて批判したものであるし、「通知表も満足につけられず」「教員として有害無能」と述べたのは、同じく批判的立場に立つことを示す言葉のあやにすぎない。控訴人は、あくまで被控訴人らの本件通知表問題に関する行動を本件ビラで批判しているのであり、かつそれを超えては何も言及していない(被控訴人らの教育内容全体を否定しているのではない)。
6 本件ビラがあえて氏名を公表し、あるいは仮に一部揶揄中傷ととられる文言を用いたとしても、それは前記のように児童の学年の課程の修了又は卒業、中学校への進学の時期が目前に迫つており、解決は急を要したという事態の急迫性と、被控訴人らがこの問題について選択している行動内容が極めて無責任かつ非論理的であり、重大な結果、取り返しのつかない破局を生じかねないこととの比較において評価されなければならない。被控訴人らは、真摯な教育実践と情熱を強調するが、その実態をみると、担任児童らの特定の教科の評定に全員一律の評価をして提出するような愚行も一部で行われたのである。控訴人が、あえて被控訴人らにつき氏名を公表し、あるいは揶揄中傷ととられるような文言を用いたのも被控訴人らの猛省を促し破局を回避したかつたからにほかならない。
7 以上の如く、本件ビラは専ら公益を図る目的で控訴人が作成し配布したものであり、その内容は表現の自由に基く論評である。若し本件ビラの中から部分部分の文言のみを取り出して不法行為を云々するとすれば、民主々義社会の根幹を形成する政治的言論のほとんどは民事制裁の対象となることとなり、表現の自由は封殺されることになることが明らかである。
8 長崎県教育正常化父母の会の構成員は控訴人のみで、団体を構成しないのは控訴人の思想に基くものである。それにもかかわらず控訴人を心情的に激励する支持者は多く、前記父母の会といえば控訴人のことであり、控訴人の名をきけば前記父母の会であるとの知名度は高かつた。従つて、「長崎県教育正常化父母の会」とは架空の団体名でなく控訴人が自らを表示したものである。なおビラの事務局所在地は控訴人の自宅を示すものである。
9 控訴人は、右翼政治結社と思われる大日本鉄心会とは全く関係がない。日本教育新聞なる組織とも関係がない。仮に大日本鉄心会が本件で被控訴人らに訴えの取下要求等をしたとしても、それは同会が自らの信条に基いて被控訴人らの訴提起に反応したにすぎない。
二 被控訴人ら
1 本件ビラの記載内容は、真実に反し、被控訴人らの名誉感情及び社会人としての信頼と評価を傷つけるもので、かかるビラを長崎市繁華街を中心に五〇〇〇枚も配布する行為が名誉毀損行為に当ることは明らかである。
また、民法第七〇九条は、人格権を保護している。人格権をもつて広義の名誉と解するならば、名誉感情も民法上保護の対象となる「名誉」にあたる。また「名誉感情」が害された場合、民法七〇九条の不法行為が全く成立しないとは解されない(侮辱による不法行為責任)。控訴人の援用する最高裁判例は、民法第七二三条に定める原状回復に関する判例で、同法第七〇九条により保護せらるべき名誉の内容に関する判例ではない。
一般に、民法第七〇九条により保護される権利は、厳密な意味における「権利」でなくとも、我々の法律観念上、その侵害に対して不法行為に基く救済を与える必要があると思われる利益であれば足りる(大審院判例大正一四・一一・二八民集四・六七〇)。名誉感情もそのような保護を受くべき利益であることは疑いがない(大阪高裁昭和五四・一一・二七判例時報九六一・八四)。
2 本件ビラは、外見上公共の利害に関するものであることを悪用し、被控訴人らの氏名、住所、電話番号、勤務学校名、担任クラス名まで掲げて被控訴人らに対し悪意に満ちた人身攻撃を加えたもので、ビラ内容自体の公共性も否定されるべきものである。
また、公益目的の有無の認定に関しては、事実を摘示する際の表現方法やその前提たる事実調査の程度などが考慮されるべきであるが、前記の如き本件ビラの記載内容や本件であらわれた控訴人の事実調査の程度を考えると、本件で控訴人が専ら公益を図る目的を有していたなどとはとうてい考えることができない。
3 通知表は、法令上の根拠に基くものではなく、その様式が法定されているわけではないから、仮にその一部に空欄があつても児童・父兄に交付することが法律上できなくなるような性質のものではない。また、教育上の評価は、当該学齢児童に対する教育の目的、目標が明確で、それにそつた教育課程が実施され、かつ評価の方法、基準が明確になつていなくてはならない。これらの条件が具備しなければ、適正な評価は不能であり、本件の如く評価の方法・基準が明確になつていない場合、通知表にあえて不適正な評価を記入すべきではないのである。
また、前述の如く、通知表は法定の表簿ではないから、これが作成交付されなければ、小学校の当該学年の課程の終了、小学校の全課程の終了の認定がなされないということはない。右は、児童指導要録によつて行われるのであつて、控訴人の主張は理由がない。
4 通知表問題が混乱した原因は、教師の良心に従つた評価ができず、また十分な検討も経ない様式の通知表を作成して強権的に教師に押しつけた校長側にあつた。そうして、校長側がとにかく全部記入しない限り児童に交付させない(決裁しない)という態度で臨んだため、被控訴人らの中には、やむを得ず全部の欄に「○」を記載した者も出たのである。なお被控訴人らは、昭和五五年度第二学期末通知表の達成状況欄に各自の教育的良心に基き様々な記載をしたので、決して「組織的統一行動として」画一的な記載をしたのではない。長崎県教組が、昭和五五年度第二学期末通知表の記載について指示・指令等を出した事実はない。
そうして、控訴人が、本件当時、被控訴人らが、通知表問題について、教職員組合員として組織的統一行動をとつていたと信じていたとすれば、それは、控訴人が十分な事実調査をしなかつたからにほかならない。
要するに控訴人は、日教組を敵視し、叩き潰すことを望んでいる人であつて、そのような目的のもとに個人的政治活動として本件ビラを作成配布したにすぎない。
5 長崎県教組や被控訴人らが乙第一三ないし第一五号証を作成したり、その作成に関与した事実はない。被控訴人らが通知表の一部をつけなかったのは、組合その他第三者の指示・指令によるのではなく、夫々教師としての良心に従い、複数の異質なものの到達度をまとめて単一の評価をすることができなかつたこと等の理由によるものであつた。
6 D2案について
D2案通知表は、任意団体にすぎない校長会で作成され、到達度評価基準の一部について多数の教職員の強い反対意見があるのを押切つて市内三二校で校長の権限により採用され、しかも当審証人穂坂裕二(現職校長)の証言によれば、評価基準、評価方法の変更を許さないというのであつた。そうして穂坂証人は、その根拠を指導要録に求めるものの如くであるが、前述の如く通知表は法律上の根拠を持たない任意に作成される書類で、指導要録(学校教育法第八八条、同法施行令第三一条、同法施行規則第一二条の三参照)とは全く異なるものであり、右の見解は全く根拠がない。しかも同証人は、乙第三号証(昭和五五年二月二九日、文部省初等中等教育局長通知・文初小第一三三号)の付属資料を指導要録の内容自体と誤解していた事実がある。
理由
当裁判所も、控訴人に対し、(イ)慰謝料として、被控訴人らに夫々金五万円宛及びこれに対する本件名誉侵害がなされた後である昭和五六年三月一日以降支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うことと(ロ)謝罪広告として、長崎市内で発行する長崎新聞の社会面広告欄に原判決別紙一に記載の謝罪広告を、見出し二〇級文字、本文一二級文字で一回掲載せしめることを命ずる限度でこれを認容するのを相当と判断する。
その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由(原判決別紙一を含む)中に説示されているところと同一であるから、これを引用する(但し、原判決一〇枚目表九行目の「西町小学校では」の次に「、同校区内にある長崎大学教職員アパート群居住者らが主体となつて、」と挿入し、同裏一〇行目の「二五校」を「二十数校」と改め、原判決一二枚目裏一行目の「被告本人尋問の結果」とあるのを「当審証人石村栄一の供述、この供述により本文外の書込みを除いて訴外石村栄一が作成した文書の写しであると認められる乙第一三ないし第一五号証、原審及び当審控訴本人の各供述」と改め、同一三枚目表四、五行目の「出所不明の文書(乙第一三ないし第一五号証)」とあるのを「前記乙第一三ないし第一五号証(この文書は、昭和五三年頃から長崎県教組の長崎総支部執行委員であつた訴外石村栄一が、D2案に関する組合員の意見を集約したり問題とする点を分類整理したりしたメモの写しであつて、控訴人が協力者から入手したものであるが、控訴人はこれを組合の闘争指導文書の一部と判断した。)」と改め、同裏八行目の「当法廷で自認している。」を「認めている。」と改め、原判決一六枚目表二、三行目の「毎日を送つており、」を「毎日を送り、」と改め、同五行目の「毎日を送つている。」を「毎日を送つた。」と改め、同裏三行目の「かつ」から同五行目の「いうべきであるから、」までを「かつ、以上認定の事実関係並びに当時としても右翼団体がその政治活動の方針として日教組を批判し、機会あるごとにはげしい街頭宣伝活動等を行つていた公知の事実にてらして、控訴人が被控訴人らの住所電話番号までも記載した本件ビラを大量に配布すれば、このような事態が発生するであろうことは当然予想し得たもので、当時控訴人はこのことを予見していたし、また仮に予見していなかつたとしてもそれは不注意によるものであつたと認められるから、」と改める。)。
一名誉毀損とは、人に対する社会的評価を低下させる行為であつて、単に人の主観的名誉感情を侵害するだけに止る行為を含まないと解することができるが、前述の如く、原判決別紙三の内容のビラを、被控訴人らが当時勤務する小学校の所在地であり、かつ被控訴人らの大部分が住所を有していた長崎市の繁華街等で五〇〇〇枚も配布した以上、被控訴人らに対する社会的評価を低下させる行為があつたと認めるのが相当である。原審、当審控訴本人の供述中この認定に反する部分は採用できず、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。
二学校教育法第二八条三項には「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と規定してあつて、その校務を学校のはたすべき仕事の全体と解釈し、教育活動を含め、全校的教育事項は全て校長の決定権に属すると共に、校長は各教師の教育活動についても指示権を持つ(職務命令を発し得る)と解する立場があり(行政解釈)、<証拠>によれば、前記D2案による通知表の作成は、この見解に基いて校長から所属の担当教師に指示され、右の見解に基き前記の如く到達度評価欄等の記入のない通知表は校長が認めない(決裁しない)ということになつたものと認めることができる(従つて、この見解に立てば、通知表が被控訴人らの主張の如く法定表簿でないことはあまり問題にはならない。)。そうして、<証拠>によれば、その理由は別として、被控訴人らが各勤務校において昭和五五年度第二学期の通知表を校長指示のとおりに記入せず、その結果通知表が児童らに交付されなかつたこと、控訴人は校長権限に関する前記の見解に左袒するものであること、従つてその立場から被控訴人らを非難する本件ビラを作成配布したものであることを認めることができる。しかしながらその非難の内容は公教育ないし教育行政に関する公正な論評、真摯な意見の陳述というより、専ら被控訴人らを揶揄誹謗するものであることに加え、被控訴人らの職務と関係のない住所、電話番号まで明記し、<証拠>によれば、控訴人自身が否定的な評価をしている前記西山台小学校長に対するはがきによる非難攻撃のようなことが、立場を異にする側から被控訴人らに加えられてほしいと期待していたことまで容易に推認できるのであつて、本件ビラの作成配布が専ら(もしくは主として)公益を図る目的において為されたと認めることはできない。
この点に関して、控訴人は、事態の急迫性を主張するが、全立証によつても、通知表が校長の決裁をうけられず、従つて児童らに交付されていないことが、直ちに進級、進学あるいは転校の障害となることを首肯するに足る証拠資料はなく、むしろこれらに必要な書類は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二三条一、四、五、九号により、その記入要領、取扱要領、様式等が教育委員会によつて定められている指導要録であることが明らかである(学校教育法施行規則第一二条の三参照。)。
三次に、前述の如く、被控訴人らは地方公務員であるところ、刑法第二三〇条の二第三項は、同法第二三〇条一項の行為が公務員に関する事実に係るときは、事実の証明があることによりその違法性が阻却されるものとし、公務員の公僕的性格にてらして国民に批判の自由を認めている。そうして不法行為の成否の判断においてもこの理は共通であるからこの観点から本件ビラの作成配布行為を検討するに、原判決別紙三の内容のうち、被控訴人らが校長(学校当局)の採用した通知表の方式に反対して校長の決裁を得られない状態にあつたとする点は、さきに認定した事実に合致するところである。従つて、本件ビラが、校長の職務権限に関する前記の見解に立つて被控訴人らの職務義務違反を指摘し、批判するに止るものであれば、専ら(もしくは主として)公益を図る目的に出たか否かを論ずることなく、違法性は阻却されるという判断も成立し得る。
しかし、控訴人は本件ビラに被控訴人らの職務とは関係がない住所、電話番号を明記した上(その意図は前記認定のとおり)、前記認定の如き揶揄誹謗の文言や被控訴人らが学校当局に対し「反対のための反対を続けようとしている」とか「有害無能な教職員」であるとか記載し、更に全文を通読すれば、前記認定の如く被控訴人らの教育内容もお粗末であるとする趣旨も看取することができる。よつてこの点を検討すると、<証拠>をあわせると、(イ)被控訴人らの本件通知表問題における行動は、右の校長、教師の各職務内容についての相対的独立性を認める見解を根底にして、前記認定の如きD2案に対する評価技術上の問題点や校長会統一テストに対する反発を理由とするものであつたこと、(ロ)従つて教育行政面から見れば、職務命令違反が成立することがあり得ても、それは校長の職務権限や教育活動についての考え方の相違に基くものであつて(ここではその当否の判断はしない)、控訴人が本件ビラに記載したような揶揄誹謗や「反対のための反対」にあたるような性質の行動ではなく、また右の被控訴人らの行動をもつて直ちに被控訴人らが「有害無能な教職員」で、その教育活動の内容が「お粗末」であるということは言えないこと、(ハ)被控訴人らの本件通知表問題に関する行動は、すくなくとも被控訴人らが控訴人の主張するような県教組の組織的統一行動として行つたものではなかつたことが認められ、<反証排斥略>してみると、本件については事実の証明がなかつたことに帰する。
よつて同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がなくいずれも棄却を免れないから、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(西岡德壽 岡野重信 富田郁郎)